2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧
はるやこし としやゆきけん こつごもり 寛文2年(1662) 19歳 ------------ 芭蕉を追いかけてみようと思います。 日本最高の詩人で最大の功績は言語遊戯にすぎなかった俳諧を、 人生を表現する芸術性の高い詩に昇華させた点にあるという。 もっとも早い芭蕉の…
鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ ----- 万葉集でも触れたが、辞世として再度。 島根県江津市のページは写真が多く分かりやすい。 壺齋散人氏の解説を読み、柿本人麻呂の人物にこれほど多様な解釈があるのかと驚く。 斎藤茂吉の…
花は高楼に近くして客心(かくしん)を傷(いた)ましむ 万方(ばんぽう)多難 此(ここ)に登臨(とうりん)す 錦江の春色 天地に来り 玉塁(ぎょくるい)の浮雲(ふうん) 古今(ここん)に変ず 北極の朝廷 終(つい)に改めず 西山(せいざん)の寇盗(こ…
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ ----- 万葉集を代表する名歌だという。 近江大津宮が壬申の乱で滅亡した後、柿本人麻呂が訪れたという。 琵琶湖の水辺は、海のような波もなく、川のような流れでもない、静かなリズムの湖面で、夕日…
石川や 浜の真砂は つくるとも 世に盗人の 種は尽くまじ ----- 貿易商・ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンの『日本王国記』や山科言経の日記に記され実在とのことでした。 城山三郎『黄金の日日』では堺の今井宗久の下で働いていたので、堺衆を狙うこと…
四月深き澗底、桃花方(まさに)然(もえ)んと欲す。 寧(いづくんぞ)知らん地勢の下、遂に春風をして偏ならしむるを。 此意頗(すこぶる)惜しむに堪えたり、言ふこと無くして誰が為にか伝へん。 過時君未だ賞せず、空しく媚ぶ幽林の前。 -------- 遅咲き…
苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに 家もあらなくに 駒とめて 袖打ち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ (『新古今集』671 藤原定家) ----- 雨宿りする家がない、という意から最近では家という建造物ではなく、 家庭、この場合は妻と遠…
西に入る 月をいざなひ 法をえて けふぞ火宅を のがれけるかな ----- 「西」が西方浄土、「法」が仏法、「火宅」が煩悩が渦巻く家 だという。 『辞世百人一首』芹生公男氏の解説の熱量が素晴らしい。 福は4歳で磔の父を目にし力こそ正義だと学んだ。 家光は…
晩景 寒鴉 集ひ, 秋風 旅雁 歸る。 水光 日を浮かべて出で, 霞彩 江に映えて飛ぶ。 洲は白くして 蘆花は吐き, 園は紅にして 柿葉 稀なり。 長沙は 卑溼の地, 九月 未だ衣を成さず。 -------- 父が宰相だった唐の張均が、安史の乱で降伏し仕えることにな…
もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の ゆくへ知らずも ----- 「もののふ」といえば武士を連想しますが、朝廷に仕える文武百官の意だそうだ。 数が多い意の「八十」の枕詞だという。 近江大津宮が壬申の乱で廃都となるが、見てきたばかりで、 滅び…
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 先立つは 同じかぎりの 命にも まさりて惜しき 契りとぞ知れ ----- あまりにも有名な辞世でしたが、もう一つあった。 忠興の狂気に動じないガラシャだったが、鬼と蛇の関係だった。壮絶でした。 ---…
客舎并州 已に十霜 帰心日夜 咸陽を憶う 端無く更に渡る 桑乾の水 却って并州を望めば 是故郷 -------- 四字熟語「并州之情」の由来だった。 長安に戻りたく嫌だと暮らしていた田舎生活も、更に異動することになると、 第二の故郷のように思えてくるという。…
天離る 雛の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ (255) 灯火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず (254) ----- 254は、大宰府行き、255が帰りだった。 当時は1か月以上の航海だったという。 人麻呂は石見にも行ったが、転勤はエリ…
春宵一刻値千金 花に清香有り。月に陰有り 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈 -------- 「声細細」で人の声がほぼ聞こえなくなる。 「夜沈沈」で静まりかえる様子だという。 漢字を重ねることで強調されるのでしょう。 また、鞦韆はブランコだった。 「蘇武 鞦…
淡路の 野島の崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹き返す ----- 大和の妻に紐を結んでもらって、旅立った。 淡路まで半日以上はかかるのでしょう。 旅の無事を守る呪術的な意味もこめられているという。 魂を半分結び守るという習俗だったという。 ----- 251 万葉集…
日々河邊見水流 傷春未巳復悲秋 山中舊宅無人住 來往風塵共白髪 -------- 季節の移り変わりが速く、月日が経ち白髪となる。 こういう感覚があるのは春夏秋冬がある地域なのでしょう。 両極あるいは赤道付近の年月の経過の感じ方は、また違うのでしょう。 ---…
妻もあらば 摘みてた食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや (221 柿本人麻呂) 直に逢はば 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ (225 依羅娘子) ----- 221は長歌の後の反歌で、旅先での死で野ざらしになることで、 それでも妻は待っ…
五原の春色 舊來 遲く, 二月 垂楊 未だ絲を挂けず。 即今 河畔 冰 開くの日, 正に是れ 長安 花 落つるの時。 -------- 杜甫の祖父だそうだ。 長安からベトナムまで左遷されることとなる。 画からは家族なのか雇った荷物持ちで単身赴任なのか分かりません。…
鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ (223 柿本人麻呂) 今日今日と 我が待つ君は 石川の 貝に交りて ありといはずやも (224 依羅娘子) ----- 石見相聞歌で別れることになったが、一説では、どうやら石見で死を迎えることになった…
五原の春色 舊來 遲く, 二月 垂楊 未だ絲を挂けず。 即今 河畔 冰 開くの日, 正に是れ 長安 花 落つるの時。 -------- 五原とは内モンゴル自治区のバヤンノール周辺だそうだ。 北方で3月(陰暦2月)なのにシダレヤナギがまだ芽吹かない。 黄河のほとりで…
うつせみと 思ひし時に〈一に云ふ、うつそみと 思ひし〉 取り持ちて 我が二人見し 走り出の 堤(つつみ)に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の しげきがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど 頼めりし 児(こ)らにはあれど 世の中を …
春眠 暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く 夜来 風雨の声 花落つること 知んぬ多少ぞ -------- これは中学で学んだ記憶がありますね。 李白が黄鶴楼から孟浩然を送った詩があったが、不遇だったようだ。 朝をゆっくりと起き、詩を書き、大自然を満喫する振舞いに興じ…
天飛ぶや 軽の道は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに みまく欲しけど やまず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵(いわかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつある…
嗟 君 此の別れ 意何如ぞ 馬を駐め杯を銜んで謫居を問う 巫峡の啼猿 数行の涙 衡陽の帰雁 幾封の書 青楓江上 秋天遠く 白帝城辺 古木疎らなり 聖代 即今 雨露多し 暫時手を分つ 躊躇する莫かれ -------- 左遷される友人2人を送るが、乾いた送り方でした。 …
降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒くあらまくに ----- 亡くなった恋人の墓を指していた。但馬皇女だった。高市皇子と天武天皇の子どもたちで母が違ったという。 アブラハムとサラも異母兄妹であり当時ではおかしくなかった。 共同体を外敵から守…
去年 花の裏に君に逢いて別る 今日 花開いて又一年 世事茫茫として自ら料るに難く 春愁黯黯として独り眠りを成す 身に疾病多くして田里を思い 邑に流亡有りて俸銭を愧ず 聞く道らく 来りて相問訊せんと欲す 西楼に月を望みて幾回か円かなる -------- 花を使…
天地の初めの時、天(あま)の河原(かはら)に八百万(やほよろづ)、千万(ちよろづ)の神々がお集まりになって、神の領分を相談なさった。天照大神(また、さしのぼる日女の命、という)が天界を支配なさることにした。葦原の瑞穂の国(この日本の国)、…
故人西のかた 黄鶴楼を辞し 煙花三月 揚州に下る 孤帆の遠影 碧空に尽き 唯見る長江の 天際に流るるを -------- 王維の「元二を送る」は長安近くの渭水から見送った詩でしたが、 今回は武漢の黄鶴楼から長江を下る孟浩然を見送る。 実際は「天際に流るる」訳…
岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む (141) 家なれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (142) ----- 時代が戻り、655年に斉明天皇が即位する。前年に孝徳天皇が崩御されたが、 有間皇子は16であり、修羅場をくぐってきた中大…
江水 三千里 家書 十五行 行行 別語 無く 只 道う 早く郷に帰れと -------- 故郷からの手紙が親か妻か不明だとする解説もあるが、玉井氏は妻と断定している。 手紙の内容がとりとめなく帰郷を求める内容とのことだが、 親なら身体が悪いのかと不安にもなるが…