詩歌

和歌・辞世を学ぶ

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武蔵坊弁慶

六道の 道のちまたに 待てよ君 後れ先立つ ならひありとも ----- 『義経記』にあるも、大方は作り話だろうという。 しかし、かく人物だったであろうと解説される。 義経=チンギス・ハーン説が存在するが、事実ならば、弁慶もお供したのでしょう。 やはり真…

平維盛

生れては 終にしぬてふ 事のみぞ 定めなき世に 定めありける ----- 祖父に清盛、父重盛の子である平家の正統だったが、 23にして大将軍として頼朝挙兵に対抗するため東国へ行くが、 水鳥の羽音で退却したり、倶利伽羅の敗戦で、平家滅亡の道に入ったようだ。…

平忠度

行きくれて 木の下かげを 宿とせば 花やこよひの 主ならまし ----- 義仲が叡山に迫っただけで平家は都落ちを決めたという。 忠度は藤原俊成に学んでいたことから自分の歌集を預けて、 勅撰和歌集の機会があればとお願いする。俊成はそこから一首選んで約束を…

源頼政

埋木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける ----- 宇治平等院で自刃して、首が下総古河まで運ばれてきたようだ。 「花咲くことも なかりしに」と歌ったが、自分の死後に花咲く。 以仁王と共に源平合戦の先駆けとなる重要な役割を果たした…

藤原季縄

くやしくぞ 後にあはんと 契りける けふをかぎりと いはまし物を ----- 『宇治拾遺物語』『大和物語』に記されているという。 人と会う約束をしていて、病で行けず、もはや死を受け入れなければならない悔しさなのでしょう。 久々に会うはずだった友人なのや…

平時子

今ぞいる 御裳濯河(みもすそがは)の ながれには 浪の下にも 都ありとは ----- 只今、確認いたしましたところ、 『草燃える』では、「海の底に極楽浄土の都がございます。尼前といっしょに参りましょう」 『鎌倉殿の13人』では無言でございました。 -----…

有子

はかなしや 浪の下にも 入りぬべし 月の都の 人や見るとて ----- 『辞世百人一首』では、藤原実定が厳島神社に行くことで清盛が喜び左大将にしたという。また、有子に短歌を贈ったが有子は引き下がったが、後で思いがつのり身を投げたとある。 が、有子は実…

紀貫之

手に結ぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの 世にこそありけれ ----- 後悔無き充実した人生だったとも言えるのでしょうが、 藤原氏北家の台頭で紀氏勢力が押され、866年の応天門の変で一族は没落したという。 その流れの中9世紀後半で誕生しているので、出世…

在原業平

つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふ今日とは 思はざりしを ----- 在原業平にしては誰でも思いつきそうな単純な辞世とも言えるようですが、 一方、「きのふけふ」という表現の響きに着目した感想に唸る。 「今日明日」なら弛緩するが、「きのふ今日」…

平忠度

生きくれて 木の下かげを 宿とせば 花や今宵の 主ならまし -------------- 清盛の異母弟。一ノ谷の合戦時の総大将。 腕塚のある地が腕塚町となったという。 敵味方に死を惜しまれたというのが分かる気がする渋い辞世でした。 -------------- <参考> 兵庫ゆ…

平維盛

生まれては つひに死ぬてふ 事のみぞ 定めなき世に 定めありける -------------- 富士川の戦い、倶利伽羅峠の戦いで大敗。 死ぬ前にストレートな心境が表れている歌を詠んだと思ったが、 実は、沓冠(くつかぶり)というテクニックを使っており、少し感動す…

源頼政

埋もれ木の 花咲く事も なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける -------------- 平家が滅ぶことを知らずに敗れてしまう。 これからという時だったのですが、無念が伝わってきます。 -------------- <参考> 源頼政 最後の言葉~辞世の句 Tactical-Media p4

武蔵坊弁慶

六道の 道のちまたに 待てよ君 後れ先立つ 習ありとも --------------- 田辺市の弁慶像は立派で思わず感激したのですが、五条大橋は何なのでしょう。 どこが作ったのかは知りませんが、私の理解を超えるセンスでした。 --------------- <参考> 弁慶 最後の…