2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧
手をとりて 共に行きなば 迷はしよ いざたどらまし 死出の山みち ----- 西郷頼母の長女たえこ16歳、次女たきこ13歳。 妹が上の句を詠み、姉が下の句を詠んだという。 ----- なよたけの碑・西郷家21人の墓 p261
稲搗けば かかるわが手を 今夜もか 殿の若子が 取りて嘆かむ ----- 労働歌に納得する。が、下リンク先のような感じ方もあると知る。 ご上品な想像を展開される。 ----- おりょうの万葉浴
ひとつぬいで うしろにおひぬ ころもがへ 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 4月1日が更衣の行事がある日なので、一枚脱いで背中に背負ったという。 リンク先では、わざわざ写真付きで解説してくれており親切でした。 芭蕉は一句詠めるネタだと気づいて、脱い…
もののふの 道と聞きしを たよりにて 思ひ立ちぬる 黄泉の旅かな ----- 享年23、西郷頼母の妹。 ChatGPTに西郷頼母のことを聞いたが、上手くまとめてくれる。 今回、予備知識が少しあったので満足したが、 シレっと混入される大嘘に気づく程度の教養は欲しい…
信濃道は 今の墾り道 刈りばねに 足踏ましなむ 沓はけ我が背 (3399) 信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ (3400) ----- 解説が素晴らしかったですね。3399の「足踏ましむな」だった場合は、 「しむ」が使役の場合は馬に踏ませるなとい…
ちちははの しきりにこひし きじのこゑ 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 高野山に先祖の鬢髪や故主蝉吟の遺骨が納められているという。 父母や先祖の骨は違うようだ。 なるほど、多くの人が訪れるのも理解できました。 ----------- 芭蕉会議
あつくなく さむくなく またうゑもせず うきこときかぬ 身こそやすけれ ----- 北斎の弟子。魚屋で「ととや」と読むという。家業を廃して画工となる。 はじめ狩野雅信から学んだので狩野派の趣と北斎のブレンドだった。 ----- Japaaan p137
多摩川に さらす手作り さらさらに なにぞこの子の ここだ愛しき ----- さらさらには、「さらす」と同音で「さらさら」と「今さら」の意があった。 響きとリズムがいいですね。 ----- 15多摩川・多摩の横山 神奈川県立の図書館
なほみたし はなにあけゆく かみのかほ 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 葛城一言主神社。近いのですが行ったことないですね。 ----------- 秋麗(あきうらら)
極楽を 断りなしに 通らばや 弥陀諸共に 四十八人 (村松三太夫) ----- 江戸詰めだったが、父喜兵衛が赤穂へ向かう際に、「生きて母に孝養を尽くせ。」 と命じたが、後で追いかけたという。弟がいたので任せたのでしょう。 ----- 村松三太夫高直(赤穂義士)…
朝寝髪 我は梳らじ うるはしき 君が手枕 触れてしものを ----- 作者未詳歌が万葉集の約半数弱、二千百首あまりだという。 誰の歌か不明でもとりあえず記録に残すという強い意思なのでしょう。 口伝えの歌であれ文字に残した業績は素晴らしいです。 ----- 万…
さびしさや はなのあたりの あすならふ 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 明日には檜になろうという語源だった。 人生をあすなろに例えて、将来を願望するが、多くはかなえられないという 人の世の悲哀を詠んでいるという。 ----------- 「さびしさや」句文…
我が好きは 酒と肴と 碁と角力 金と女は 云ふまでもなし ----- 三絶(詩、書、画)に通じていようが、自らの品位を下げるような辞世を遺すことで、生臭坊主に見えてしまう。 同じ写真でも綺麗な辞世なら立派に見えるのでしょう。 ----- 【豊後南画】平野五岳…
ももしきの 大宮人は 暇あれや 梅をかざして ここに集へる ----- 大宮人は暇だった訳ではなく、週休1日で夜明けから昼まで働いていたという。 『新古今集』では山部赤人になり、梅が桜に、下の句が変えられている。 万葉集が残っているので捏造にはならない…
ほろほろと やまぶきちるか たきのおと 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 因果関係はないが、山吹が散るのは、滝の音に驚いたからだとする。 かつて万葉集や紀貫之がのどかに歌ったが、激湍に配した手柄だそうだ。 ----------- ヤマブキの基本情報 たのしい…
世の中の やくをのがれて もとのまま かへすはあめと つちの人形 ----- はじめは医者や学者を目指したが、人気作家になったとはいえ、 戯作者に成り下がったという敗北感の方が大きかったという。 右目失明、両眼失明しながら息子の嫁に口述筆記で書いてもら…
葦屋の 莬原娘子の 奥城を 行き来と見れば 哭のみし泣かゆ ----- 蟲麻呂は東国の民間伝承を都に伝えたという。が、1809では葦屋だった。 兵庫県の芦屋に伝わる妻争い伝説だが、どうも蟲麻呂の創作だろうとの説が有力とのことだ。 確かに、自殺は親不孝でもあ…
ひばりより そらにやすらふ たうげかな 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 峠の上で休んでいると、下から雲雀の声が聞こえてきた。 無邪気に嬉しい気持ちが伝わってくる。それを歌う。見事でしょう。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB
今はには 何をか言はむ 世の常に いひし言葉ぞ 我が心なる ----- 天保国学四大家の1人だそうだ。本居宣長没後の門人として平田篤胤と義兄弟の間柄となったが後に絶交する。 小浜藩は人材が優れ杉田玄白などいたという。 ロシアから帰国した大黒屋の「光太夫…
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群 ----- 1790で秋萩を鹿の妻と見立てて、独り息子の遣唐使の旅を心配する。 今回は天平5年(733)で4隻中帰ってきたのは2隻で、2年後どうやら無事に帰ってきたようだ。 鶴に羽ぐくんでほしいという文学…
さまざまの ことおもひだす さくらかな 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 藤堂高虎の従弟新七郎が大坂夏の陣で他界するが、その孫に仕えていたという。 が若くして他界し伊賀上野を離れることになったという。 ----------- 芭蕉と伊賀 芭蕉生誕360年 蝉吟 山…
末の露 本のしづくや 池水に おくれ先立つ はすの花びら ----- 幕末狂歌師。28で狂歌角力番付で東の大関だったという。 藩主を怒らせ京都に逃れたが、後に許され松代で狂歌、書道を教えたという。 どうしても許せないようなことではなく、少しチクッと書いた…
常世辺に 住むべきものを 剣大刀 己が心から おそやこの君 ----- 亀は登場しない浦島伝説で、1740で箱を開けてしまう。 海神の娘は開けてはならない箱を男にわたす。中を言わないで禁止する。 『鶴の恩返し』もそうだがが、理由を言わずに禁止され、男は見て…
このやまの かなしさつげよ ところほり 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 「野老」を「トコロ」と知る。写真を確認する。 が、芭蕉は「トコロ」ではなく自然薯の意だったという。 老人にこの山のことを聞いていると見るようだ。 ----------- あやしい苦味で…
思ふこと 一つも神に 務め終へず 今やまかるか あたら此の世を ----- 苦労人だった。秋田藩で100石の大和田家の四男だったが、出来が悪く家出して江戸に出て多様なバイト経験を積み重ねる。それで松山藩主の目に入り平田家の養子になったという。本居宣長に…
今日降りし 雪に競いて 我がやどの 冬木の梅は 花咲きにけり ----- 今回は家持の歌。雪に負けまいと競っているという。 こういうことを思いつくのが歌人だった。 ----- 万葉百科 奈良県立万葉文化館
なんのきの はなとはしらず にほひかな 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 伊勢神宮外宮参拝の祈りの作とのことで、西行の歌をデフォルメした句だった。 西行の歌を知っていて思い出したから可能となった。 なかなか簡単にできることではなく、玄人の域なので…
此世をばどりゃお暇にせん香の煙とともに灰左様なら ----- 日本初のプロのユーモア作家だったが、実生活では謹言実直、几真面目だったという。無口で仏頂面だったが、アウトプットにおける表現となると別人になるようだ。 辞世も練った狂歌となっている。 晩…
我が岡に 盛りに咲ける 梅の花 残れる雪を まがへつるかも ----- 雪を白梅の花と見立てるのは漢詩に多い風物だそうだ。 2回目ですが、綺麗なので使いたくなる気持ちが分かってきました。 万葉のパクリと言われようが一度は使ってみたいところです。 ----- 万…
じょうろくに かげろふたかし いしのうへ 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 50年前に嵐で山が崩れ寺院もろとも壊れたという。 約5m弱の大仏があるはずの台座の上に陽炎を見たと詠む。 無常でもあるのでしょう。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB