詩歌

和歌・辞世を学ぶ

2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧

杉浦羔二郎

世のうさを かこつ涙の ます鏡 あかき心に くもりなければ うき節を 語りてけふも 呉竹の 葉かへぬ色は 誰か知るらむ ----- 水戸藩初代からの重臣の家系で執政で調整しようとしていたようだ。 が、天狗を鎮めることはできない、最後は諸生党に投獄されたとい…

春夜笛を聞く <李白>

誰が家の玉笛か 暗に声を飛ばす 散じて春風に入りて 洛城に満つ 此の夜曲中 折柳を聞く 何人か起こさざらん 故園の情を -------- 25頃に四川省の故郷を出て42で長安にて玄宗皇帝に認められるが、2年で追放されたという。その彼の31の頃の詩だという。 見送る…

青柳蔀

書き遺る 我手ながらも なつかしや 恋しき人の 見ると思へば ----- 対馬藩の幕末史も悲惨だったようだ。甥が藩主となった勝井が力を握り尊攘派を弾圧。それに対して青柳が憤激するも敗れ自刃となったという。母に辞世を送る。 「恋しき人」が母だが、言外で…

347 酒を讃める歌 大伴旅人

世の中の 遊びの道に たのしきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし (347) この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも われはなりなむ (348) 生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな (349) もだ居りて 賢しらするは 酒飲みて…

清岡治之助

砕けては あたし光も ととめまし 蓮に宿る 露の白玉 ----- 土佐勤王党の弾圧で、武市半平太の釈放を求める嘆願書を出したようだ。 が、同族の清岡道之助と共に野根山に同志を集めたが、追われる身となり処刑。 道之助の弟が貴族院議員だったようだ。 ----- …

世にふるも さらに宗祇の やどりかな

よにふるも さらにそうぎの やどりかな 天和2年(1682) 39歳 ------------ 「ふる」は「降る」「経る」の掛詞で、宗祇が時雨版で詠んだのを、 一語置換しただけだった。 宗祇が、時雨の一夜の雨宿り人生無常観を詠んだが、 芭蕉が、二条院讃岐も念頭に置き、…

水野主馬

秋風に 身はもみぢ葉と 散りぬとも 赤きこころは 千代になかさん ----- 「赤きこころ」は19世紀までは「忠誠心」と良い意味で使われていたようだ。 主家は1万8000石帝鑑の間、譜代大名水野家だが幕末の地殻変動は、 結城藩家老の養嗣子を捨てさせ天狗に参加…

建徳江に宿す <孟浩然>

舟を移して煙渚(えんしょ)に泊(と)まれば 日暮れて 客愁(かくしゅう)新たなり 野は曠(ひろ)く 天は樹(き)に低(た)たれ 江(こう)は清く 月は人に近し -------- 孟浩然の代表作だという。「春眠・・」しか知らない。 建徳江が川霧で知られ「煙渚…

真木和泉

大山の 峯の岩根に うづみけり わが年月の やまとだましひ ----- 彼を追いかけることで、1840年代のイメージがようやくできてきた気がします。 何度でも立ち上がる不屈の精神の持ち主。久留米の神官だったが、長州の禁門の変に諸隊総督になって参加したとい…

344 酒を讃める歌 大伴旅人

あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む (344) 値無き 宝といふも 一坏の 濁れる酒に あにまさめやも (345) 夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣るに あにしかめやも (346) ----- 酒を飲まない人を猿と呼び、一杯の酒より価値があるものは…

河合惣兵衛

ひをむしの 身をいかてかは 惜むへき たたをしまるる 御世の行末 ----- 「ひをむし」という虫で、はかないものを喩えているという。 姫路藩士。家老河合家の庶流で、尊攘派だったが、藩主が酒井忠績で老中首座となっており当然に佐幕であり、甲子の獄になっ…

朝顔に 我は飯食ふ 男かな

あさがおに われはめしくう おとこかな 天和2年(1682) 39歳 ------------ 弟子の「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」に対して、生活態度を改めるよう窘めたようだ。 其角は師匠からありがたく頂いた以上、反省せざるを得ないのでしょう。 粋がって破門されたら、この…

元杢網・知恵内子夫妻

あな涼し 浮世のあかを ぬぎすてて 西に行く身は もとのもくあみ (元杢網) 六十(むそぢ)あまり 見はてぬ夢の 覚むるかと 思うもうつつ 暁の空 (知恵内子) ----- 江戸中期の狂歌師夫妻だそうだ。元杢網(もとのもくあみ)は湯屋を経営していたという。…

白帝城 <李白>

朝に辞す白帝 彩雲の間 千里の江陵 一日に還る 両岸の猿声 啼いて住まず 軽舟已に過ぐ 万重の山 -------- 白帝城から江陵まで300㎞、あるいは600㎞との解説がある。 それを1日で下る表現を、千と一で対比させる。 それを猿で喩える。 これぞ漢詩の表現の醍醐…

中村文荷斎

契あれや 涼しき道に 伴ひて 後の世までも 仕へ仕へむ ----- 柴田勝家の臣。夫妻の自刃の後に殉じた。 「涼しき道」が極楽浄土との解説もある。 この世の乱世に対する言葉なのでしょう。 逃げることも可能だったのでしょう。心打ちますね。 ----- 中村文荷斎…

341 酒を讃める歌 大伴旅人

賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし (341) 言はむすべ 為むすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にあるらし (342) なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ (343) ----- ただの飲ん兵衛ではなかった。令和の由…

小林良典

たをやめも 国のためをば 思ふなれなど ますらをの あだにすごせる ----- 4位5位を諸大夫や地下と言うようだが詳しい区別の仕方は分からない。 清水寺世話方だという。「世話方」は檀家を代表するリーダーのような役割だそうだ。 今年の漢字を決めて日本人全…

櫓の声波をうつて 腸氷る 夜やなみだ

ろのこえなみをうって はらわたこおる よやなみだ 天和元年(1681) 38歳 ------------ 前年冬に深川三股の草庵に転居してきた日の夜。舟の櫓の音から腸が凍るような悲しさを感じたという。が、これまでに積み重ねた力量に自信もあるので、 不安という感情では…

日本武尊

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし 嬢子(をとめ)の 床の辺に 我が置きし つるぎの大刀 その大刀はや ----- 兄の手足をもぎ取り父に恐れられ、熊襲建兄弟の討伐、出雲、帰ってきたら東国へ行けと命ぜられたという。 猛々…

江南春望 <杜牧>

千里鶯啼いて 緑紅に映ず 水村山郭 酒旗の風 南朝 四百八十寺 多少の楼台 煙雨の中 -------- 「緑紅に映ず」に、「かっこいいなぁ」と感激する。 「酒旗風」で酒屋の旗が風になびいている表現など、 漢詩の楽しさがようやく分かってきたような気がします。 -…

弟橘比売

さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも ----- 日本武尊をヤマトタケルノミコトと呼ぶようだ。景行天皇の皇子で、 九州の熊襲、東国の蝦夷を征討したという。 妻であるオトタチバナヒメが荒れた海を鎮めるために、 畳24枚を波の上に敷…

338 酒を讃める歌 大伴旅人

験なき ものを思はずは 一杯の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (338) 酒の名を 聖(ひじり)と負(おお)せし 古の 大き聖の 言の宜しさ (339) いにしへの 七の賢しき 人たちも 欲りせしものは 酒にしあるらし (340) ----- 万葉集の歌は、技巧ではなくストレー…

葉室宗行

今日過ぐる 身を浮嶋の 原にてぞ つるの道をば 聞き定めつる (浮島の原で死の淵から浮かび上がれるかもしれないと期待していたが、終わりを迎えることが分かり覚悟を決めた) ----- 父が藤原行隆で10歳の頃、葉室家の養子となる。 後鳥羽院の側近となり、承…

芭蕉野分して 盥に雨を 聞く夜かな

ばせうのわきして たらひにあめを きくよかな 天和元年(1681) 38歳 ------------ 台風という語が無かった時代、「野分」と言ったそうだ。 芭蕉の葉に打つ音と雨漏りの音で尊敬する杜甫の境涯と重ねて、 慰めているという。 ------------ 山梨県立大学 芭蕉db…

人見四郎

花さかぬ 老木の桜 朽ちぬとも その名は苔の 下に隠れじ ----- 楠木正成の赤坂城攻めの前夜、天王寺の石の鳥居に辞世を書き付けたという。 当時、73まで生きたこと自体、かなりの家だったのでしょう。 先駆けして討ち死にしたというが、辞世を残し本望でしょ…

南楼の望 <盧僎>

國を去りて 三巴遠く 樓に登れば 萬里春なり 傷心す 江上の客 是れ故郷の人ならず -------- 巴蜀の地に来て景色を眺めて、故郷でないことで心を痛めたという。 河南出身の人だそうだが、離れた地での不遇は沈むでしょう。 「客」が単に旅人で、一時的な旅で…

安田喜八郎

憂きことの 木葉(このは)とつもる 我宿は 照らす月さへ しのひ顔なる ----- 8月18日の政変で逃れた7卿の内の5卿が大宰府に移ってきた時に藩論に抗して保護したという。 幕府の長州征討期に、尊王佐幕の藩主黒田長溥(島津重豪の子)は、尊攘派にキレて乙丑…

337 宴席退出 山上憶良

憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ ----- 宴席から退出するが、名前に「ら」を付けて謙譲を表すという。 「らむ」を3回使い語調をユーモラスにしているのでしょう。 ----- 第20図 宴を罷る時の歌 山上ノ憶良(337) atelier りざ…

錦小路頼徳

はかなくも 三十年(みそぢ)の夢は さめてけり 赤間の関の 夏の夜の雲 ----- 8月18日の政変のいわゆる七卿落ちの1人。 赤間関の砲台視察中に倒れたという。 「赤間関」とは下関の古名だそうだ。 ----- 錦小路頼徳墓 山口市の歴史文化資源 p258

枯枝に 烏のとまりたるや 秋の暮

かれえだに からすのとまりたるや あきのくれ 延宝8年(1680) 37歳 ------------ 水墨画の「枯木寒鴉」を句にしたものという。 見たままプラス「秋の暮」で完成するのなら、 素人でも恥を捨てての量産と公開で可能となるやもしれません。 悩みどころですね。 …