詩歌

和歌・辞世を学ぶ

2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧

1639 沫雪のほどろほどろに 大伴旅人

沫雪の ほどろほどろに 降りしけば 奈良の都し 思ほゆるかも ----- これは分かり易い歌でした。 旅人が大宰府で都を思い出す。酒癖悪そうですが、 ここまで酒や都を思い出す歌を遺してくれていると、 情が移ってきそうです。 ----- たのしい万葉歌

枯芝や ややかげろふの 一二寸

かれしばや ややかげろふの いちにすん 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 芝は冬枯れのままだが、早春の息吹を感じ取っているという。 かげろうで表現するのがいいのでしょう。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB

質亭文斗

王となり 蝶となりても 一生の 苦楽は同じ 夢にこそあれ ----- 朱楽管江の門人。市ヶ谷で質屋を営んでいた。 市ヶ谷八幡宮境内に自作の石碑を作ってこの歌を遺したという。 江戸後期の狂歌師。 ----- お神酒と絵馬 p246

1538 秋の七草 山上憶良

萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 ----- 旋頭歌で「五七七五七七」だという。 秋の七草をそれぞれリンク先で確認する。 朝顔は現代のヒルガオ科の朝顔とは違い、朝に咲くきれいな花だという。 ----- たのしい万葉歌

春立ちて まだ九日の 野山かな

はるたちて まだここのかの のやまかな 元禄元年(1688) 45歳 ----------- 厳密には貞享5年。 三が日にも詠むだのでしょうが、いきなり9日目の作が登場する。 いい作品が生まれなかったのか、あるいは、怠けていたのか、 芭蕉といえど、毎日、高品質で大量生…

吉田正準

後暗き 事しなければ つひに行く 道も月夜の 心地こそすれ ----- 土佐の国学者。何をしでかしたのかは不明だが、 後暗き事をしてしまい不安なのか、しなかったので気持ちよく歩けるのか。 1846年に他界しているので佐幕派を何人か斬ったこと喜ぶ歌ではないの…

1511 小倉山の鹿 舒明天皇

夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寐ねにけらしも ----- 小倉山を巡ってくれていた。「バイクと万葉集」とはかっこいいですね。 私は、原付で倒れたこともありバイクに乗ることはないですね。 ----- 万葉歌・小倉の道

旧里や 臍の緒に泣く 年の暮

ふるさとや へそのをになく としのくれ 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 確かに両親とも他界し臍の緒を見たら、泣いてしまうでしょう。 ----------- 竹とんぼ

朋誠堂喜三二

死にたうて 死ぬにはあらねど お年には 御不足なしと 人やいふらん ----- 恋川春町と組んで黄表紙の出版を重ねていたという。 春町は『鸚鵡返文武二道』を刊行するが『鸚鵡言』を著した松平定信を揶揄しているとも見え、召喚されたが応じず自殺した。 その後…

1427 春菜摘まむと 山部赤人

明日よりは 春菜摘まむと 標めし野に 昨日も今日も 雪は降りつつ ----- ↓のリンク先解説では、山部赤人の「春の野に・・・」(1424)から、恋の歌として読むことが当然だった。 今回も、一緒に摘もうと思ったのに雪が降ってかなわなかったと読むようだ。 「単…

旅寝して みしやうき世の 煤払い

たびねして みしやうきよの すすはらひ 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 年末大掃除はクリスマスを過ぎて26~28頃で毎年のことでした。 12月13日は煤払いの日だそうですが、テレビで忠臣蔵を見るものだと思ってました。 ----------- 左大臣どっとこむ

上田秋成

長き夢 見果てぬほどに わが魂の 古井におちて 心さむしも ----- 江戸文人、多才ぶりに感嘆する。国学者、歌人、俳人、茶人、作家であり医師だった。商売を継いでいたが火事で財産全て失い、医師となり成功する。 が、不幸が重なり、自分も両眼失明する。が…

1426 見せむと思ひし梅の花 山部赤人

我が背子に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪の降れれば ----- 女性の立場で「背子」を使う。梅の花と雪が区別つかない状態のイメージがつかなかったが、↓のページの写真に感動する。 ----- たのしい万葉集

いざさらば 雪見にころぶ 所まで

いざさらば ゆきみにころぶ ところまで 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 完成形までに推敲されたようだ。「いざさらば」と勢いがある。 「アバヨ」は俳句や歌にいれると狂句狂歌扱いされるのでしょう。 品位を保つというのは言葉からなのでしょう。 --------…

俳諧寮蝙蝠

月よりも おのれが影を 今はとて そのまま西へ いそぐ雲あし ----- 狂歌師、二代目白鯉館卯雲。「今は」は臨終。「西」は西方浄土だという。 ふざけた歌もあったのでしょうが、辞世は綺麗にしたい派なのでしょう。 ----- コトバンク p244

1425 山桜花 山部赤人

あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いたく恋ひめやも ----- 良寛和尚の「散る桜・・・」の発想も、直接この1425番歌を読んだか否かにかかわらず、 影響を受けているのやもしれません。 この歌に限らず読んだことがなくとも、日本人の発想に万葉集が…

鷹一つ 見付けてうれし 伊良湖崎

たかひとつ みつけてうれし いらござき 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 解説より、感情表現を避けるべきと知るが、この句は「うれし」を使う。 素直な表現を芭蕉も使っており、使い方なのだと知る。 ----------- 芭蕉会議

便々館琵琶麿

庭の草 詠(なが)めつくして 常ならぬ みちの野の花 いざゆきて見ん ----- 狂歌師で幕府与力だったという。旗本便々館湖鯉鮒の門下だそうだ。 幕府系の者よる狂歌が流行っているのを見て、そこに退廃を見た外様もいるのでしょう。 ----- コトバンク 狂歌手…

1424 すみれ咲く野 山部赤人

春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける ----- なんと爽やかで気持ちいい歌なのだ、野宿したのかと感嘆でしたが、 解説を読むと、宮廷のサロンで詠まれた歌で、恋を暗示していると知り驚く。 山部赤人恐るべしと思ふ。 ----- たの…

冬の日や 馬上に氷る 影法師

ふゆのひや ばじょうにこほる かげぼふし 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 身もすくむような寒さを、はじめは「すくむ」と入れていたが、 推敲を重ね「氷る」を使うことにする。 「冬の日」と表現を抑制させているが、全体として解説のように整然となる。 --…

近江のお今

何事の とがにあふみの 今なれや 虫もあはれを なきそへにけり ----- 豊臣秀次夫人の侍女だそうだ。妻妾・幼児ら30余人が斬首だったが、 侍女までも刑死となる。とがに「合う身」と「近江」を掛けていた。 見事でした。 ----- p239

1418 「石激」 石走る垂水の上の 志貴皇子

石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも ----- 天智天皇の第7皇子の志貴皇子の歌だそうだ。 原文の第1句が「石激」でどう読むかは確定しないという。 賀茂真淵が「いはばしる」と訓んだという。 躍動的な動きで始まり、下の句でゆっ…

旅人と 我が名呼ばれん 初しぐれ

たびびとと わがなよばれん はつしぐれ 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 「野ざらし」覚悟の旅ではなく、余裕がある。 門弟にも恵まれ、西行、宗祇と並ぶと十分に自覚しているのでしょう。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB

細川高国

犬追物 今ひとたびと 思ひ来し あらましは ただいたづらにこそ ----- 細川家の庶流だったが政元の養子となり、フィクサーになったようだ。 ↓の解説を一読したかぎりで正確に掴めないが、かなり頑張ったようだ。 三好元長らに攻められ自刃したという。 ----- …

1088 山川と弓月が岳の雲 人麻呂歌集

あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ちわたる ----- 山に流れる川の音が聴覚に聞こえるかのように表現し、 奈良県巻向山の最高峰である弓月が岳に雲が立ちわたると 視覚的に連想させる。 川も雲も生命あるもののようだと解説される。 そう学ぶ…

蓑虫の 音を聞きに来よ 草の庵

みのむしの ねをききにこよ くさのいほ 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 鳴かない蓑虫を『枕草子』が秋風が吹くと鳴くとしたそうだ。 それを踏まえて、聞きにきてくださいと招いている。 蓑虫庵と名付けられ現存していた。 ----------- 蓑虫庵 芭蕉翁顕彰会

唐衣橘洲

いたづらに 只の親父と なりひさご 身の能とては 酒のしれもの ----- 明和6年(1769)に橘洲が呼びかけた会が始まりで、南畝、菅江もいたという。 8つ下の南畝だったが、天明3年(1783)にほぼ同時の出版となり対立が決定的になったという。 気迫、歯切れの…

1068 天の海に月の舟 人麻呂歌集

天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ ----- これは綺麗ですね。とても1300年も前の作品とは思えません。 月の舟を漕ぐのは月人壮士だそうだ。 海外でも人気があり英訳されているという。 ----- 大和の国のこころ、万葉のこころ

五月雨に 鳰の浮き巣を 見に行かむ

さみだれに にほのうきすを みにゆかむ 貞亨4年(1687) 44歳 ----------- 鳰は茎で逆円錐形の巣を作るという。 五月雨の増水で芭蕉は見に行こうとする。 式子内親王も「はかなしや・・・」と歌を残していた。 見事な写真でした。 ----------- 古典俳諧への招…

畠中観斎

かりの世に かりのからだを かりすまひ 釈迦は請人 弥陀は引取 ----- 幕府の忌諱に触れないよう、狂詩、諷刺、戯作、清談と文人たちと交わり楽しんだそうだ。定信による林子平の禁固、山東京伝が手鎖の処罰を受けたりといった時代をくぐり抜けたという。 ---…