詩歌

和歌・辞世を学ぶ

幕末

井伊直弼

さきかけし たけき心の 花ふさは ちりてぞいとど 香に匂ひける ---------- 14男で17で父が他界し300俵の捨扶持で城下の小さな屋敷に移ったという。将来を期待できないが、文武に励んだという。300俵が多いか少ないか、1500万~2000万のようだが、最低限の家…

吉田松陰

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 親思ふ 心にまさる 親心 今日のおどづれ 何ときくらむ ---------- 下は獄中から母へ出した手紙の最後だという。親不孝ではあるが、母は息子を誇りに思いもしたのでしょう。 ---------- p145

天狗党の乱 七

名にし追ふ 手筒の山の 手筒にて しこの夷を 打払はなん ----- 杉山当直。通称は秀太郎。19だという。 父が桜田門外の変に参加し、靖国神社に祀られているようだ。 ----- 杉山弥一郎墓・杉山秀太郎墓 p264

古東領左衛門

君のため 八重の汐路を 登り来て 今日九重の 土になるとは 君のため 思ひし事も 水の上の 泡と消えゆく 淡路島人 ----- 淡路三原郡の庄屋。立派な人だったようだ。 天誅組に参加し平野国臣と共に捕まったという。 ----- 古東領左衛門碑 p258

中野竹子

もののふの 猛き心に くらぶれば 数にもいらぬ 我が身ながらも ----- 城門が閉ざされ鶴ヶ城に入れなかった竹子は20人で娘子軍を作って戦ったという。 ----- 中野竹子殉節碑 p175

津川喜代美

かねてより 親の教えへの ときは来て けふの門出ぞ 我はうれしき ----- 白虎隊士。当時総数288名で、一人辞世を残したという。 門出を元服か士官仕官かと思ったが、自刃だった。白虎隊は16~17歳だそうだ。 私なら残したとしても恨みがましく狂歌でしょう。 …

滝善三郎

きのふみし 夢は今更 引きかへて 神戸が宇良にに 名をやあけなむ いまははや 森の日陰と なりぬれと 朝日に匂ふ 屋まと魂 ----- 生麦事件の如く、横切られた神戸事件。岡山藩家老日置帯刀の小姓だったが、 死者がでなかったものの、切腹することになる。 嫡…

武田幾

引きつれて 帰らぬ旅に ゆく身にも やまと心の 道は迷はじ ----- 藤田東湖の四男小四郎による天狗党の乱を鎮撫する側だった武田耕雲斎が首領となってしまい敦賀で長男彦九郎と共に斬首。 彦九郎と東湖の妹・幾との間に3人の子があったが水戸で獄に入れられた…

伴林光平

君が代は 巌とともに 動かねば くだけてかへれ 沖つ白波 ----- 学問の人、天誅組に参加し、軍参謀兼記録方だったという。 京都の獄中でも学問を講じ『南山踏雲録』書き上げたという。 ----- 地図に載らない文学館 ネットミュージアム兵庫文学館 p157

伊藤軍兵衛

日の本の 為と思うて 切る太刀は 何いとふべき 千代のためしに をしからぬ 命をすつる 武士は 神のめぐみの かちいくさせん ----- イギリスの仮公使館になっていたのが江戸高輪の東禅寺に前後2回の襲撃があり、 2回目の襲撃に備えて厳戒態勢だったが、警備に…

喜遊

露をだに いとふ倭の 女郎花(をみなへし) ふるあめりかに 袖はぬらさじ ----- 文久2年に遊女喜遊が切腹する。父が医者だったが政治活動で医業を禁止され病となり、300両で身売りとなったという。 歌は坂下門外の変の大橋訥庵か門人の偽作と言われてもいる…

西郷細布子・西郷瀑布子

手をとりて 共に行きなば 迷はしよ いざたどらまし 死出の山みち ----- 西郷頼母の長女たえこ16歳、次女たきこ13歳。 妹が上の句を詠み、姉が下の句を詠んだという。 ----- なよたけの碑・西郷家21人の墓 p261

西郷由布子

もののふの 道と聞きしを たよりにて 思ひ立ちぬる 黄泉の旅かな ----- 享年23、西郷頼母の妹。 ChatGPTに西郷頼母のことを聞いたが、上手くまとめてくれる。 今回、予備知識が少しあったので満足したが、 シレっと混入される大嘘に気づく程度の教養は欲しい…

平野五岳

我が好きは 酒と肴と 碁と角力 金と女は 云ふまでもなし ----- 三絶(詩、書、画)に通じていようが、自らの品位を下げるような辞世を遺すことで、生臭坊主に見えてしまう。 同じ写真でも綺麗な辞世なら立派に見えるのでしょう。 ----- 【豊後南画】平野五岳…

蘭君亭薫

末の露 本のしづくや 池水に おくれ先立つ はすの花びら ----- 幕末狂歌師。28で狂歌角力番付で東の大関だったという。 藩主を怒らせ京都に逃れたが、後に許され松代で狂歌、書道を教えたという。 どうしても許せないようなことではなく、少しチクッと書いた…

天狗党の乱 六

国の為め 思ひ捨てにし 今日の身を 我がたらちねは 知らずやあるらん (大谷輔直) ----- 通称は包太郎。享年19だという。 幕末ですから攘夷という考えを持つのは健全な証拠なのですが、 この世はそうできておらず、開き受け入れるという方向での現実的な調…

西郷眉寿子

死にかへり 幾度世には 生くるとも ますら武雄と 成りなむ物を ----- 西郷頼母の妹、享年26という。さすが会津藩家老の妹。 頼母は赦免の後、宮司になったというが、反政府の意思は持ち続けていたのでしょう。 神風連の乱が宮司が多いのに驚きましたが、宮司…

西郷千重子

なよたけの 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそきけ ----- 一族21人が自決だという。夫の頼母は戦い続け五稜郭で敗北。 後に赦免され神社の宮司になり明治36年74歳で没という。 慎ましく暮らしたのでしょう。 ----- 歴史家 石田先生の会津歴史…

天狗党の乱 五

あら玉の 年たちかへる 世の中に 我身もかへる 死出のやみ路に (秋山正元) ----- 歌は米川久蔵かもしれないとのことだ。 劣悪な環境で辞世を遺すことも大変だったということなのでしょう。 ----- 秋山又三郎 コトバンク p264

安岡嘉助

故郷を 思ふ寝さめに ふる雨は 漏らぬひとやも ぬるる袖かな 再度(ふたたび)と 来るべき世ならぬ 我身をも 捨てるは君の 御為なりけり ----- 土佐藩参政の吉田東洋を暗殺した1人。脱藩し長州の久坂や薩摩に助けられ、 天誅組に参加したという。 作家の安岡…

豊永斧馬

白露と 消ゆる我身は 惜しからて 惜きは後の 名のみなりけり ----- 土佐の農民で、武市半平太に剣を習い砲術も会得し民兵になったという。 清岡道之助の計画に加わり捕まり斬られたという。 裕福ではあったのでしょうが、命を使う。 ----- 二十三士の墓(福…

天狗党の乱 四

国のため あはれ木の葉の 軽き身を 君に捧げて 行く旅路かな (藤田自明) 強ひて吹く あらしの風に あふ花は いさぎよく散れ いさぎよく散れ (国分信義) 皇国の 御為めと思へば たちたたぬ 勲はと問はじ 日本魂 (米川和常) ----- 新撰組は乱暴者の芹沢…

千屋熊太郎

ますら男の 身は朽ちぬとも まこころは とどめて国の 末を譲らん ----- 土佐の庄屋だという。 緒方洪庵の義弟にあたる研堂から医学を学び地元で開業。 野根山屯集に加わり21で処刑。 ----- コトバンク 二十三士の墓(福田寺) p258

近藤次郎太郎

君か為め 尽しし事の かひそなき あしたの原の 露と消ゆる身 ----- 23士として墓まで作られたので地元ではかなり敬愛されているのでしょう。 ----- --野根山二十三士-- 008_近藤次郎太郎 二十三士の墓(福田寺) p258

平田観之輔

武士の 捨る命は 惜しからず えみしを討たで 死すぞ口惜し ----- 対馬藩士。藩主に勝井の不法の書をもって訴えたという。 が、その勝井に幽閉され自刃。 無念であり、「えみし」を持ってきたのでしょう。 享年23という。 ----- 勝井五八郎 対馬歴史人物伝 p2…

木下慎之助

かすならぬ 身のなる果ては 惜しからす 世の為君の 為と思へは ----- 「かす」は数なのでしょう。16で謙虚に遺した。 兄は止めたが聞かなかったという。 サッカー選手の木下慎之輔氏とは「助」が違うが、頂戴したのでしょう。 ----- コトバンク 二十三士の墓…

萩原虎六

よしや身は 草むす野辺に 埋む共 君のなき名を 洗てすすかん ----- 他の無名の人たちの無念も、自分が洗い拭おうという意なのでしょうか。 24で死に際して他者へ思いを寄せている。清廉の士だったのでしょう。 ----- コトバンク 姫路藩 勤王十二士の墓 p254

市川豊次

露となり 草葉の下に 消ぬとも あかきこころは 世々に残さん ----- 「あかきこころ」を確かに残される。 元治元年(1864)12月26日に切腹。この年は池田屋事件、禁門の変、長州征伐の年であり、 彼らも全く希望を見いだせない中での辞世だったのでしょう。 ---…

江坂元之助

降積もる 雪に緑は うつむとも とけてあらはる 千代の松かえ ----- 年末に切腹。自分たちは雪の中死ぬことになるが、 春は必ず来て、藩を超えた同志がやってくれるくれるだろうという意なのでしょうか。 「松かえ」は「松が枝」だそうだ。 ----- コトバンク …

木下嘉久次

死ぬる身を 何か恨みん かはねむす 草に花さく 時もあるへし ----- 土佐の郷士で清原の一族。文久3年(1863)の8月18日の政変の影響。 長曾我部遺臣の殉難も苛烈ですね。 ----- 二十三士の墓(福田寺) p256