詩歌

和歌・辞世を学ぶ

2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

越智彦四郎

咲かで散る 花のためしに ならふ身は いつか誠の 実を結ぶらむ あらうれし 心の月の 雲晴れて 死出の山路も 踏みまよふまじ ----- 福岡藩士。戊辰では藩の大砲隊、佐賀の乱でも鎮圧側だったが、 鹿児島に行き桐野と村田の影響を受けたようだ。 西南戦争勃発…

夏衣 いまだ虱を 取り尽くさず

なつごろも いまだしらみを とりつくさず 貞亨2年(1685) 43歳 ----------- AIによると当時、虱を手で取っていたようだ。 シャンプーなど無く水洗いでは完全に取り除くことが無理だったという。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB

大田垣蓮月

ちりばかり 心にかかる 雲もなし けふを限りの 入相のそら ----- 自分一人が長生きするのも悲しいものです。 1人暮らしで陶器を作って和歌を彫りつけ生活の資としたという。 揮毫で人気があり色紙や短冊の量が多く代筆の尼を雇ったようだ。 貧者への施しに…

示子弟(三)

私学校生教育の漢詩 示子弟(三) 我有千絲髪 毿毿黒於漆 我有一片心 皓皓白於雪 我髪猶可断 我心不可截 我に干絲の髪有り 毿毿として漆より黒し 我に一片の心有り 皓皓として雪より白し 我が髪はなお断つべし 我が心は截つべからず ------------ これは名言…

赤穂浪士 八

梓弓 ためしにも引け 武士の 道は迷わぬ 跡と思はば (堀部安兵衛) ----- 仇討を手伝い有名となり、堀部弥兵衛が気に入ったという。 中山性で手続きを済ませたが、後に弥兵衛の心意気で堀部にする。 気持ちいい男気の人でした。 ----- 赤穂においでよ p251

824 散らまく惜しみ 小監阿氏奥嶋

梅の花 散らまく惜しみ 我が園の 竹の林に うぐひす鳴くも ----- ウグイスが来て鳴いているのを、梅の花の散るのを惜しむかのようにと表現する。 狩猟採集時代では持っていないだろう奈良時代の美意識を感じることができました。 ----- 讃岐屋一蔵の古典翻訳…

赤穂浪士 七

武士の 道とばかりを 一筋に 思ひ立ちぬる 死出の旅路に (潮田又之丞) ----- 妻の父が脱盟したことで妻を実家に帰したという。 半分、安堵もあったのやもしれません。娘を姉夫妻に預ける。 細川家に預けられたことは幸いでした。 ----- 潮田又之丞高教(赤…

山賤の おとがひ閉づる 葎かな

やまがつの おとがひとづる むぐらかな 貞亨2年(1685) 43歳 ----------- 山仕事を生業にする人のことだそうだ。「賤」を人に使うべきではないでしょうが、 そういう時代だったのでしょう。 この句が残され、しかも場所が不明だったが、都留市が手を挙げたと…

赤穂浪士 六

まてしばし 死出の遅速は あらんとも まつさきかけて 道しるべせむ ----- 吉良邸での茶会の日時を知り上野介の参加を確認する。 大高源吾からの情報と合ったことで確信に至り決行日が決まる。 これは素晴らしい働きです。 ----- 横川勘平宗利(赤穂義士) p2…

示子弟(二)

私学校生教育の漢詩 示子弟(二) 世俗相反処 英雄却好親 逢難無肯退 見利勿全循 斉過枯之己 同功売是人 平生偏勉力 終始可行身 世俗の相反く処、英雄却って好親す。 難に逢いては肯て退くこと無く、利を見るも全くは循ふこと勿れ。 過を斉しうしては之を己…

赤穂浪士 五

天地の 外にあらじな 千種だに もと咲く野辺に 枯ると思へば (茅野和助) ----- 伯耆守森長武に仕えていたが確執があり録を捨てることになったという。 浅野長矩が父を招くも父は固辞したという。その後、和助は赤穂藩に仕えるも4年で事件となる。 浅野長…

822 白梅と雪 大伴旅人

我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも ----- 大河で伊周が大宰府左遷を赤子のように拒否したのが驚きだった。 そこまで嫌がるものなのかと。 そう考えれば大伴旅人が大陸の遊びを日本風に変えての楽しむ様子は立派なものです。 白梅を雪…

安岡嘉助

故郷を 思ふ寝さめに ふる雨は 漏らぬひとやも ぬるる袖かな 再度(ふたたび)と 来るべき世ならぬ 我身をも 捨てるは君の 御為なりけり ----- 土佐藩参政の吉田東洋を暗殺した1人。脱藩し長州の久坂や薩摩に助けられ、 天誅組に参加したという。 作家の安岡…

行く駒の 麦に慰む やどりかな

ゆくこまの むぎになぐやむ やどりかな 貞亨2年(1685) 42歳 ----------- 駒と表現することで甲斐を指すという。 麦は夏の季語だという。 「麦秋」という語もあるが秋は収穫期の意で、あくまで夏だった。 馬が麦で疲れをとるように、自分も慰められたと感謝す…

豊永斧馬

白露と 消ゆる我身は 惜しからて 惜きは後の 名のみなりけり ----- 土佐の農民で、武市半平太に剣を習い砲術も会得し民兵になったという。 清岡道之助の計画に加わり捕まり斬られたという。 裕福ではあったのでしょうが、命を使う。 ----- 二十三士の墓(福…

示子弟(一)

私学校生教育の漢詩 示子弟(一) 平生忠憤氣 磅礴満寰宇 自得安心法 成敗守吾愚 平生の忠憤の氣 磅礴として寰宇に満たせ 自得せよ安心の法 成敗は吾が愚を守るにあり ------------ 忠による憤りの気を天下に満たせ 自分で心を安んじる方法を見つけよ、 成敗…

戦没学生の手記から 八

くらき海 くらき眼をもて 見つめつつ ただひたすらに 合掌するも (木村節) ----- 昭和20年7月、レイテ島カンギポット山にて戦死。日大美術科卒。22歳。 海ではなく山だった。海は「この世」で、しっかりと見つつも、絶望するな希望も持つな、という意なの…

821 飲みての後は 笠沙弥

青柳 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし ----- 冠や髪にかざすが、宴が終われば散ってもよいとする。 終わってもいつまでも咲き続けて欲しい、と歌うのはキザでしょう。 ----- 筑紫の国から『花つくし日記』

戦没学生の手記から 七

赤き実を 雀ついばむ 袋路に 吾をまつらんか 幸薄き叔母 (塚本太郎) ----- 慶応で人間魚雷となり21で戦死。と知り、つい高学歴で気の毒にと思ってしまう。 高学歴でなかったら、顔写真がないとそこまで思えないでしょう。 兵器そのもののことも考えず、非…

いざともに 穂麦喰はん 草枕

いざともに ほむぎくらはん くさまくら 貞亨2年(1685) 42歳 ----------- 道連れの僧に呼びかけた句だという。 金に困っている訳ではないが、僧に穂麦での野宿も付き合いますよと 親しげに示しているのでしょう。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB

森川許六

今までは 下手が死ぬぞと 思ひしに 上手も死ねば くそ上手なり ----- 彦根藩重臣で多才な人だった。品の良い辞世ではないが、 「蕉門十哲」に数えられる位ですから上手なのでしょう。 見事な絵画でした。 ----- 山梨県立大学 芭蕉DB UAG美術家研究所 p104

示子弟

私学校生教育の漢詩 學文無主等痴人 認得天心志氣振 百派紛紛亂如絲 千秋不動一聲仁 文を学びて主なければ痴人に等し 天心を認得して志気振う 百派紛紛 乱れて糸の如し 千秋動かず一声の仁 ------------ 1句の「主」を主体性、根本と様々に解釈できるようだ…

貝原益軒

越し方は 一夜ばかりの 心地して 八十路あまりの 夢を見しかな ----- 1歳で父が浪人となり5歳で母が亡くなるも、勉学に励み18で藩に復帰したという。 数多くの著作があり平易な和文で書かれ庶民にも読まれたという。 ----- 福岡市 p102

818 ひとり見つつや 山上憶良

春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ ----- はじめて原文を読んでみました。なかなか辛いですが、 「波」「佐」が3回でしたが、字が決まっているなら慣れの問題でしょう。 ----- 818 万葉集ナビ

荒木田守武

来しかたも また行末も 神路山 峰の松風 峰の松風 ----- 江戸の芭蕉に先んじて中世で有名だったという。 平安末期から短連歌長連歌が生まれ文芸となったようだ。 もはやプロサッカー選手の空中でのパス回しのような領域なのでしょう。 が、真面目で堅苦しか…

山路来て 何やらゆかし すみれ草

やまじきて なにやらゆかし すみれぐさ 貞亨2年(1685) 42歳 ----------- 特に技巧が無くても素朴な光景に心が和むのでしょう。 これはいいですね。 ----------- 山梨県立大学 芭蕉DB

佐介貞俊夫妻

皆人の 世に有る時は 数ならで 憂にはもれぬ 我身也けり たれ見よと かたみを人の とどめけん たえてあるべき いのちならぬに ----- 北条時政の来孫で鎌倉幕府滅亡となる。 大坂の金剛山に攻めていて捕まり処刑。その知らせを受け夫の愛用の刀で自害。 -----…

西郷17回忌にて 勝海舟

白髪塵顔到無意 壮心横剣不求勲 百千窮鬼吾甚畏 難脱人間狐狸群 白髪塵顔となるも意とすること無きに至る、 壮心あり剣を横たうるも勲を求めず。 百千の窮鬼を吾甚畏る。 脱し難し人間狐狸の群。 ------------ 勝は征韓論に反対し、西南戦争が起こると西郷に…

山名氏清妻

沈むとも 同じく越えん まてしばし くるしき海の 夢の浮橋 ----- 明徳の乱で夫から届いた辞世に自らの歌を添えたという。 そして自刃するも、すぐに死ねず、その間に息子2人が戻ってきたが、 衣を被り、父に殉じるよう追い払った。 「孝ならざるは子にあらず…

816 梅花の宴 ありこせぬかも 小野老

梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我が家の園に ありこせぬかも ----- 旅人の家の梅を褒め、我が家にも欲しいと小野老が詠む。 解説では、藤原氏側の監視として小野老も大宰府にいたが、 仲良くなったのではないかと想像する。 なるほど、そういう楽しみ方も…