中世
手を折りて すぎこし代々を かぞふれば むなしき床の 夢にぞありける ----- 義政の弟の義視と日野富子の息子の将軍位を巡る争いを中心に見てしまうが、 そうではなく、瀬戸内海を巡る争いだったという記事で、目から鱗の視点でした。 ----- 「実は将軍家の跡…
返らじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる ----- 大河『太平記』。湊川で父が正行を帰らせる名シーン。 この少年が、12年後に辞世を遺して22で討ち死にする。 ----- 奈良県ビジターズビューロー NHKオンデマンド 太平記 p46
皆人の 世に有る時は 数ならで 憂にはもれぬ 我身也けり たれ見よと かたみを人の とどめけん たえてあるべき いのちならぬに ----- 北条時政の来孫で鎌倉幕府滅亡となる。 大坂の金剛山に攻めていて捕まり処刑。その知らせを受け夫の愛用の刀で自害。 -----…
沈むとも 同じく越えん まてしばし くるしき海の 夢の浮橋 ----- 明徳の乱で夫から届いた辞世に自らの歌を添えたという。 そして自刃するも、すぐに死ねず、その間に息子2人が戻ってきたが、 衣を被り、父に殉じるよう追い払った。 「孝ならざるは子にあらず…
願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ ----- 北面の武士で鳥羽上皇に仕え妻子がありながら失恋により23で出家したという。 それでも彼が認められる実力を兼ね備えていたのでしょう。 死の10年程前の歌だが、望みが叶えられた。 -----…
まてしばし 子を思ふ闇に 迷ふらん 六つのちまたの 道しるべせん ----- 楠木正成の赤坂城を攻めた父が戦死。その弔い合戦前に天王寺の鳥居に血で書いたという。 父子の忠臣として太平記に記され浮世絵にもなったようだ。 ----- 年英 英雄三十六歌撰 本間資忠…
今日過ぐる 身を浮嶋の 原にてぞ つるの道をば 聞き定めつる (浮島の原で死の淵から浮かび上がれるかもしれないと期待していたが、終わりを迎えることが分かり覚悟を決めた) ----- 父が藤原行隆で10歳の頃、葉室家の養子となる。 後鳥羽院の側近となり、承…
花さかぬ 老木の桜 朽ちぬとも その名は苔の 下に隠れじ ----- 楠木正成の赤坂城攻めの前夜、天王寺の石の鳥居に辞世を書き付けたという。 当時、73まで生きたこと自体、かなりの家だったのでしょう。 先駆けして討ち死にしたというが、辞世を残し本望でしょ…
大方の 年の暮ぞと 思しに 我身のはても 今夜(こよひ)成けり ----- 京に81mの塔があったという。法勝寺で白河天皇が1075年に造営を始められる。 時代を経て、ここの律宗の僧だったという道場坊祐覚が隠岐を脱出した後醍醐天皇方で働くも、帝が花山院に幽閉…
討つ者も 討たるる者も 土器(かはらけ)よ 砕けて後は もとの土くれ 三浦義同(よしあつ) 君が代は 千代に八千代も よしやただ うつつのうちの 夢のたはぶれ 三浦義意(よしおき) ----- 1247年の宝治合戦で三浦一族が滅ぼされたが、庶流の盛連系が生き残…
昨日まで まくめうしわを 入れ置きし へむなし袋 いま破りけむ かかる時 さこそ命の 惜しからめ かねて無き身と 思ひしらずば ----- 江戸城を最初に築城、江戸の礎を完成させた人物だそうだ。 また、28年続いた享徳の乱と長尾景春の乱を解決する「都鄙合体」…
夏草や 青野が原に 咲くはなの 身の行衛こそ 聞かまほしけれ 足利春王丸 身の行へ 定めなければ 旅の空 命も今日に 限ると思へば 足利安王丸 ----- 鎌倉公方の父持氏は将軍義教の対立し敗北自害。兄弟は結城氏朝に匿われるが、 結城も敗れ二人は護送中に義教…
皆人の 世に有時は 数ならで 憂にはもれぬ 我身也けり 北条貞俊 誰見よと 信を人の 留めけん 堪て有べき 命ならぬに 貞俊妻 ----- 高時に冷遇され後醍醐天皇に降るが、北条殲滅の方針となり斬首となったという。 太刀と小袖が形見として届けられたが、妻はそ…
待てしばし 死出の山辺の 旅の道 同く越て 浮世語らん ----- 1315年に執権になるも1年で交代。高時への中継ぎだった。 この頃は内管領の長崎高資に実権があった。 新田義貞が鎌倉へ攻めてきて激戦の末自害したという。 先に戦死した息子へ「待て」と語ってい…
ながらへば 人の心も 見るべきに 露の命ぞ はかなかりけり 出づる日の 余の国までも 鏡山と 思ひしことも いたづらの身や -------------- 8代将軍義政が弟義視を還俗させ後継者としたが義尚が誕生し応仁の乱となったと説明されることがあるが、実は義視を先…
何事も 夢まぼろしと 思い知る 身には憂いも 喜びもなし -------------- 父が殺され兄が他界し、元服して正式に将軍となる。それまでは管領の執政だったが将軍親政を目指す。が、暴君だった父の影響の反動で困難が続く。 弟の義視を養子として後継にするつも…
見てなげき 聞きて弔ふ 人あらば 我に手向よ 南無阿弥陀仏 -------------- 下総守護千葉氏第16代当主。初代は平常兼。 一族の争いで1455年に嫡男も自刃し、千葉嫡流が途絶え、 甥から武蔵千葉氏、下総千葉氏となる。 -------------- <参考> 北総の名家 「…
取りえずば 消えぬと思へ 梓弓 引きて帰らぬ 道芝の露 --------------- 楠木正成の孫の正勝が義満へ奇襲したのを防いだ功績があったが、 6分の1もあった11国の山名家を弱体化させるための義満の介入に利用され、戦うことになり、戦死したという。 大河『太平…
故郷に 今夜ばかりの 命とも 知らでや人の 我を待つらむ 菊池武時 故郷も 今夜ばかりの 命ぞと 知りてや人の 我を待つらむ 妻 --------------- 肥後の豪族で後醍醐天皇に呼応して鎮西探題に攻め入るが戦士 戦死する。 その直前に故郷へ辞世を送るが、妻は受…
かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる --------------- 大河『太平記』で正行が死んだばかりなので、感情高ぶってます。 北畠親房の正行に死んでこいと言わんばかりの圧力が酷でした。 顕家の代わりに息子と思うておる、命を惜しめ、と…
後の世も 又後の世も 廻り会へ 染む紫の 雲の上まで --------------- 『義経記』を「ぎけいき」と読むと知る。 室町時代の中期頃までに書かれた軍記物語で作者不明のようだ。 感情移入してくる見事な辞世でした。 --------------- <参考> 源義経 最後の言…
出でて去なば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな --------------- 私がこのブログをはじめたのは実朝の辞世が大きいのでしょう。 覚悟していたものと思い、辞世の句を学んでみたくなりました。 正岡子規の絶賛や斎藤茂吉の評価も勉強になりました…