詩歌

和歌・辞世を学ぶ

在原元方


新玉の年の終はりになるごとに

 雪も我が身もふりまさりつつ


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雪が「降りまさる」と自分が「古りまさる」だった。
年始に1歳増えるのと、雪は白髪の比喩でもあるので老いをイメージさせた。
悲観的だけに捉えるのではなく、人生の重みと深みを増していくと考えれば、
味わい深い一首だった。

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339

 

顕真


ながき世にねぶりはさめていかなれば

 この世をゆめと思ひなるらん


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天台座主。建久3年(1192)没。享年62。
これまで現実だと思っていた世は、目覚めてみれば夢であった、という。
座主になったのが建久元年(1190)で、60頃に気づいたというのなら、
残念なのやもしれません。

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けんしん/顕真



51

 

山本貞一郎


散ることはかねてならひしものなれば

 何か恨みん春の山風


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信濃松本の勤王志士。安政5年(1858)8月29自裁。享年56。
町人でありながら、徳川斉昭に接触し、戊午の密勅の堂上への働きかけを行う。
幕府捕吏からの逃避を断念し辞世を詠み自害したという。

秋だが、「春の山風」(=幕府の圧力)に散る桜の花とし、見事に散ったのでしょう。

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近藤茂左衛門・山本貞一郎ガイド



535

 

小野篁


花の色は雪にまじりて見えずとも

 香をだに匂へ人の知るべく


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紅梅と白梅があり、雪に交じるので白梅だった。
紅梅は屏風歌の隆盛とともに始まったばかりだったという。
平安時代は障子や襖は無く屏風で仕切られていた。
今回は、冬に咲いた梅への愛情と春の憧れが込められていた

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335

 

梶金平


死にともなあら死にともな死にともな

 御恩になりし君を思へば


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1614年、享年64。本多忠勝の与力・侍大将。
1610年他界の本多忠勝の辞世と瓜二つで、忠勝の辞世を拝借したものに思えた。
しかし、梶の辞世が後年に忠勝の辞世としても流布したようだ。
梶が言う「御恩になりし君」は、家康のことだったのでしょう。

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