二三百年生きようとこそ思ひしに
八十五にて不死の若死
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風俗絵師。天保14年(1843)病没。享年85。
1909年刊『滑稽百話』加藤教栄著では、「不時の若死」となっている。
「不死の若死」なら「死なないはずの若死」で面白い。
「不時の若死」で「思いがけない若死」だが、どちらなのでしょう。
満足できなかったが、それを豪快に芸として辞世を遺した。
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二三百年生きようとこそ思ひしに
八十五にて不死の若死
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風俗絵師。天保14年(1843)病没。享年85。
1909年刊『滑稽百話』加藤教栄著では、「不時の若死」となっている。
「不死の若死」なら「死なないはずの若死」で面白い。
「不時の若死」で「思いがけない若死」だが、どちらなのでしょう。
満足できなかったが、それを豪快に芸として辞世を遺した。
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孫彦に別るることのかなしさも
また父母にあうぞうれしき
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幕府抱えの連歌師、嘉永元年(1848)病没。享年80。
「彦」は古語で曽孫、よって「孫やひ孫と」となる。
悲しみと父母との再会の喜びを詠む。
80なので強がりでもなく、穏やかな本心なのでしょう。
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あだし野の露と消え行く武士の
都にのこす大和魂
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文久3年9月25日刑死。享年37。大和十津川郷士。
8月18日の政変後に斬首。
志士が奈良奥の十津川まで相次いで訪ねたようだ。
「あだし野」は京都西郊の葬送の地という。
そこに消えるが、魂は都に残すと誇り高く詠んだ。
「大和」は日本と大和の2つの意があった。
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やうやくに三都をめぐり上野の
元のふる巣に帰る鶏
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上野七日市藩医・国学者。明治3年病没。享年81。
戯作者・狂歌作者として三都を巡り帰郷。
江戸の書画会でも中心的に活躍した文人で、人名録も作っていた。
最晩年を故郷で過ごすことを、「ふる巣に帰る」とし、
これは、土に戻ることも含んでいた。銀鶏という一羽の鶏も帰るとした。
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国のためつくしゝかひもあら波の
あはとくだけて消ゆるはかなさ
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明治9年10月24日自刃。享年37。下リンク先では42歳。
神風連隊員。介錯した吉村は自刃に失敗し捕まり斬刑。
悔いているのではなく「はかなさ」で結んでいる。
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