詩歌

和歌・辞世を学ぶ

英一珪

 

二三百年生きようとこそ思ひしに

 八十五にて不死の若死


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風俗絵師。天保14年(1843)病没。享年85。
1909年刊『滑稽百話』加藤教栄著では、「不時の若死」となっている。
「不死の若死」なら「死なないはずの若死」で面白い。
「不時の若死」で「思いがけない若死」だが、どちらなのでしょう。

満足できなかったが、それを豪快に芸として辞世を遺した。

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英一珪 コトバンク


滑稽百話(こっけいひゃくわ)浮世絵文献資料館



508

雛店に彷彿として毬かな 召波

 

ひなみせにほうふつとしててまりかな 

 

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雛店は「ひなみせ」でも「ひなだな」でもいいという。
節句前に雛人形を売っている店に入った。
オモチャ屋が急に用意したのではなく、専門店と考える。
雛人形、内裏様、官女、五人囃子、衛士、小町姫、
雛道具として、箪笥、両替、膳、鏡台、ボンボリ、屏風、
種々雑多に、豪華に並べられている。毬(てまり)も置いてある。
召波は、「雛店に片隅にある手毬かな」と詠まずに、
「彷彿として」を選んだ。虚子は、これを絶賛する。魂が入って、
有情なものとなったような心地がするとした。そうなのでしょう。

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130

 

寿阿弥曇奝

 

孫彦に別るることのかなしさも

 また父母にあうぞうれしき


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幕府抱えの連歌師、嘉永元年(1848)病没。享年80。
「彦」は古語で曽孫、よって「孫やひ孫と」となる。
悲しみと父母との再会の喜びを詠む。
80なので強がりでもなく、穏やかな本心なのでしょう。

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 コトバンク 長島寿阿弥



517

深瀬繁理

 

あだし野の露と消え行く武士の

 都にのこす大和魂


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文久3年9月25日刑死。享年37。大和十津川郷士。
8月18日の政変後に斬首。
志士が奈良奥の十津川まで相次いで訪ねたようだ。
「あだし野」は京都西郊の葬送の地という。
そこに消えるが、魂は都に残すと誇り高く詠んだ。
「大和」は日本と大和の2つの意があった。

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十津川探検 ~十津川人物史~



592

元日や草の戸ごしの麦畑 召波

 

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今までの虚子の解説で最長だった。
前書きに「等持院寓居」とあり、足利歴代将軍の位牌木造等の由緒ある古い大寺だった。
蕪村に重んぜられた門人が寺の小庵を借りて仮住まいをしていたようだ。
だから元日とはいえ、世間では門松や〆飾りで賑わっていても、寺は静かだった。
「や」の役割の解説もある。元日から連想させるが、寺の前置きと合わせ、静寂を感じ取らなければならなかった。
そして、「草の戸ごし」は文字通りではなく粗末な戸と解す。
戸越しに麦畑を見る。
虚子は理屈を加えず目前の景色をそのまま詠んだ点を高く評価した。


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123

 

畑銀鶏

 

やうやくに三都をめぐり上野の

 元のふる巣に帰る鶏


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上野七日市藩医・国学者。明治3年病没。享年81。
戯作者・狂歌作者として三都を巡り帰郷。
江戸の書画会でも中心的に活躍した文人で、人名録も作っていた。

最晩年を故郷で過ごすことを、「ふる巣に帰る」とし、
これは、土に戻ることも含んでいた。銀鶏という一羽の鶏も帰るとした。

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コトバンク


書画薈粋 台東区立図書館

 


705

紀友則

 

夕されば蛍よりけに燃ゆれども

 光見ねばや人のつれなき


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夕方は恋の時間という。
紀友則の頃には、男性が女性、女性が男性の立場で歌が作られていたという。

この歌は、表現されていない「思ひ」の「ひ」が「火」の掛詞だった。
これを前提として、蛍の光より自分の思いの火の方が激しく燃えるとした。
これが紀友則なのかと唸る歌でした。

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562

 

 

松井正幹

 

国のためつくしゝかひもあら波の

 あはとくだけて消ゆるはかなさ


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明治9年10月24日自刃。享年37。下リンク先では42歳。
神風連隊員。介錯した吉村は自刃に失敗し捕まり斬刑。
悔いているのではなく「はかなさ」で結んでいる。

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武者の勇猛ぶり こんけんどうのエッセイ



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