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春になっても雪の絵を掛けていて、埃が積もっている。
白い雪の絵の上に白い埃が積もるというユーモアも含んでいた。
子規庵は焼失したが、昭和25年に再建されたという。
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むそぢ余り六とせの今日を命にて
浮世の夢はさめ果てにけり
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合巻作者、人情本作者、戯作者と紹介されるという。
文久2年(1862)12月死去。享年66。
「今日を命にて」としているので、死亡当日か直前に
悟り、詠むことができたのでしょう。
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散ることはかねてならひしものなれば
何か恨みん春の山風
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信濃松本の勤王志士。安政5年(1858)8月29自裁。享年56。
町人でありながら、徳川斉昭に接触し、戊午の密勅の堂上への働きかけを行う。
幕府捕吏からの逃避を断念し辞世を詠み自害したという。
秋だが、「春の山風」(=幕府の圧力)に散る桜の花とし、見事に散ったのでしょう。
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死にともなあら死にともな死にともな
御恩になりし君を思へば
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1614年、享年64。本多忠勝の与力・侍大将。
1610年他界の本多忠勝の辞世と瓜二つで、忠勝の辞世を拝借したものに思えた。
しかし、梶の辞世が後年に忠勝の辞世としても流布したようだ。
梶が言う「御恩になりし君」は、家康のことだったのでしょう。
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